「運が良かった」という言葉の裏にあるもの
「自分は運が良かったんですよ」
成功者がよく口にする言葉です。
しかし私は、それを額面通りには受け取っていません。
もちろん、運というものは存在します。
けれど、すべてを運のせいにしてしまうのは、あまりに軽い。
むしろ私はこう考えています。
運とは、準備が機会に出会うこと。 (セネカ)
この言葉ほど、「運」の本質を表したものはないように思います。
成功した人が「運が良かった」と言うとき、
その言葉の奥には、往々にして別の思いが込められている気がします。
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すべてを自分の実力だと言えば、傲慢に聞こえるかもしれない
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努力や戦略を一から説明するのは面倒
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周囲の協力や偶然を軽んじているように見られたくない
こうした“人間関係の空気”を読んで、
「運が良かった」と謙遜する。
それは一つの処世術であり、成熟の証でもあります。
でも、実際にはきっと思っているはずです。
- あの時、努力しておいてよかった
- あの判断が、今につながっている
そう、「運が良かった」と言える人は、
その“運”が訪れるまでに、必ず準備していた人なのです。
チャンスというものは、ある意味で公平です。
サイコロのようにチャンスは降ってくる。
でもその実、良い目が出た時に拾うかどうかは自分次第です。
それは「準備された者」にしか見えないし、掴めない。
だからこそ、今はまだ訪れていないチャンスに備える努力を大切にしたいと思うのです。
※院内ミーティングより
これは、毎週金曜日の朝に行っているスタッフ向けミーティングで話した内容のひとつです。
私たちのクリニックでは、「なぜこの仕事をしているのか」「どうあるべきか」といった価値観の共有を大切にしています。
こうした考え方は、内部のメンバーだけでなく、
訪問診療に関わるご家族や関係者の方、地域の皆さんとも分かち合っていけたらと思い、今回ブログという形にまとめました。