想像の限界——レオ・レオニ『さかなはさかな』を読んで考えたこと
レオ・レオニの絵本『さかなはさかな』。
物語は、池に暮らす小さな魚とおたまじゃくしの友情から始まります。
ずっと一緒に泳いでいた二匹ですが、やがておたまじゃくしはカエルに成長し、「外の世界を見てくるよ」と言い残して、池から旅立っていきます。
しばらくしてカエルは帰ってきます。
そして語り出します。「空を飛ぶ鳥、草を食べる牛、二本足で歩く人間」を見たと。
池に残っていた魚は、カエルの話をもとに自分の想像力で「鳥」「牛」「人間」を思い描きます。
けれど、その姿はすべて “魚ベース” の想像。
羽の生えた魚が空を飛び、四本足の魚が草を食べ、人間は帽子をかぶった魚のように描かれているのです。
それを見て、思わず笑ってしまいながら、ふと考えました。
私たちは、自分の知識の中でしか想像できない
この魚の姿こそ、私たちの「思い込み」や「認知の限界」を象徴しているのではないでしょうか。
前回、前々回のブログの話とも通じますが、
- どれだけ情報を得ても、想像する形は、結局のところ自分の経験や知識の枠内にとどまる。
- 外の世界の話を聞いても、自分の知っている世界でしかそれを解釈できない。
- そしてときに、それが誤解や偏見を生む。
「なるほど」と思ったつもりでも、“自分の世界観に当てはめて”理解しているに過ぎないということを認識しておかないといけないのだと思います。
認知の限界を知ることは、他者理解の第一歩
『さかなはさかな』は、子ども向けの絵本でありながら、大人にこそ突き刺さるテーマを秘めています。
- 知らない世界を「自分の枠組みで解釈してしまう」危うさ
- 想像力の限界と、それでも他者を理解しようとする態度の価値
これらは、子育てや教育、医療の現場、あらゆるところで問われる普遍的な問題です。
最後に
私たちは皆、池の中で育った「さかな」ということなのだと思います。
だからこそ、外の世界の話を聞いたときは、“想像できたつもり”にならずに、立ち止まって考えてみることが必要です。
それを教えてくれる絵本でした。