「どこも悪くない」——老衰のACPで出会った、印象的な一言
先日、印象的なお看取りがありました。
94歳の女性。慢性心不全を基礎疾患にお持ちで、施設に入居されたその日が初診日でした。日中に当院の医師が診察し、状態が思わしくないことをご家族に説明していました。そしてその夜、静かに旅立たれました。
ご家族は「自然な形での最期」を望まれており、迷いがありませんでした。
なぜこれほど穏やかに受け入れられたのか。お話を伺って、その理由がわかりました。
前医の先生から、こう言われていたというのです。
「老衰です。どこも悪くありません。」
逆説のなかにある、本質
一見、不思議な言葉に聞こえます。どこも悪くないのに、なぜ亡くなるのか——。
でもよく考えると、これは老衰の本質をとても正確に表しています。老衰とは、特定の臓器が病気になって死に至るのではなく、体全体が機能を終えていくプロセスです。「治すべき病気がない」「そもそも治療の対象が存在しない」ということ。
前医の先生の一言は、その複雑な事実を、ご家族が受け取れる言葉に変換していました。「見捨てられた」でも「手を尽くしてもらえなかった」でもなく、「これが自然なことなんだ」と感じられるように、たった一言で説明されていました。
言葉が、人の心を整える
ACPの場面では、医師はしばしば難しい判断を迫られます。何を、どこまで、どんな言葉で伝えるか。お看取りという同じことをしていても、かけた言葉ひとつで家族が受け取る意味合いが全く別のものになる可能性があります。
今回がまさにそうでした。前医の先生がどんな思いでその一言を選ばれたのかはわかりません。ただ、その言葉がご家族を安心させ、穏やかな最期へとつながっていったことは確かです。
「どこも悪くない」——これまでの経験の積み重ねから生まれた言葉だろうと思います。こういう言葉を、私も使えるようになりたいと感じました。