テクノロジーは開かれている。では、自分はどうか
インターネットの登場によって、情報はかつてないほど手に入りやすくなりました。
かつて一部の専門家や特権階級だけが持っていた情報が、いまや誰のスマートフォンの中にもあります。
そして今、AIによって「知能」すら民主化されつつある。
少し前までは一部の研究者や作家が担っていたような思考や言語化のプロセスを、
多くの人がごく自然に手にできる時代が来ています。
これは技術の進化によって、人間の能力の“外付け”が進んできた結果だと言えます。
■技術は開かれている。けれど、届いているとは限らない
AIを使ってみて、私自身も感じたのはこういうことです。
「これは開かれた道具だ。でも、自分の中にある“何か”を超えないと、使えるようにならない。」
AIは、誰にでも開かれている。
インターフェースも、料金も、制度も、今のところ極めてフラットです。
けれど、自分の中にある“フィルター”がそれを妨げるのです。
■「フィルター」はどこからくるのか
それは、操作の難しさや知識の欠如ではありません。
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「こんな便利なものに頼っていいのか?」
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「なんとなくズルをしている気がする」
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「使うこと自体が恥ずかしいような気がする」
そんな、言葉にならない抵抗感。
つまり、“自分の中の観念”や“美学”が、知らないうちに技術の入口を閉じてしまっているのです。
■使えるようになるためには、自分の内側を開く必要がある
だからこそ私は、こう思います。
「テクノロジーが使えるかどうか」は、その人の“技術的な能力”ではなく、
“自分を開けるかどうか”にかかっている。
どれだけ高機能なAIも、どれだけ素晴らしいソフトも、
それを使う人間が「自分にはふさわしくない」と感じていたら、何も始まりません。
逆に、自分の考えを深めたり、表現したり、つなげたりする目的のために使う
「道具」として素直に受け入れられたとき、AIは驚くほど力を貸してくれます。
■民主化は、外からだけでなく、自分の内側からも
インターネットは、情報を民主化しました。
AIは、知能を民主化しようとしています。
けれどその民主化が本当に意味を持つのは、
使い手である私たち自身が、自分の中の壁を一枚ずつ外していったときなのだと思います。
テクノロジーはもう、目の前に開かれている。
では、自分の中はどうだろうか。本当に開いているだろうか。
使えることを、自分に許せているだろうか。
これは、技術の話であると同時に、自己との関係性の話なのかもしれません。