最期について
在宅医療の担い手として、何をするべきなのかとよく考えます。
当院が果たすべき役割の一つは、患者さんになるべく長い間元気でいてもらえるように医療を提供することですが、
それと同時にもう一つ、患者さんに良い最期を迎えてもらうということが、私たちのとても大事な役割なのだと思っています。
在宅医療はある意味、人の『死』と正面から向き合わなければならない仕事で、一見ネガティブなものだと捉えられがちです。
ですが、人の最期というのはその人の人生を表しているように思いますし、その最期に関わることができるのはとても意義のあることのように感じます。
どこで最期を迎えるかにはこだわらなくてもいいと思います。住み慣れたところがいいのか、病院がいいのか、それは人それぞれです。
ただ、「これでよかったな」と患者さん本人や家族の方に思ってもらえることが大切で、少しでもそうなるように、私たちは努力する必要があるのだと思います。
最近たまたま読んだ『レゾンデートル』という小説に興味深い場面が描かれていました。この小説そのものはいわゆるミステリー小説なのですが、人の『死』について考えさせられるものがあったので、ここで紹介したいと思います。
著者の知念実希人氏は小説家であると同時に医師であり、医療現場の描写についてはリアリティがあります。
外科医である主人公の雄貴が、研修医のときのことを回想する場面です。
研修医時代、雄貴は末期のすい臓癌の患者を担当することになりました。その患者は雄貴の先輩医師でした。
その医師から、「人間は死ぬときに、いろいろな顔をする。苦しそうな顔をする人もいれば、泣き顔の人もいる。しかし、時々笑顔で逝く人がいる。そういう人は自分の人生に満足していて、思い残すことがないからなのだろう」と言われます。
『死』を敗北ととらえる医学を学んできた雄貴にとって、その言葉はにわかには信じがたいものでした。疑わしげな目をした雄貴の顔を覗き込みながら先輩医師は言います。
「俺の死亡宣告はお前がやれ。見てろ。俺は笑いながら死んでやるから」
その数週間後、微笑んだような表情のままその医師は心停止し、雄貴の死亡宣告を受けました。
この描写はある意味比喩的なものだと思います。私自身は微笑みながら亡くなられた方を見たことはありません。
ただ、最期を迎える時に、「自分の人生はいい人生だった」と思える人は、周りから見たときに微笑んでいるように見えるということなのだ思うのです。
私たちが関われるのは診察時のほんの少しの時間ですが、患者さんが良い最期を迎えられるように、努力したいと思います。
知念実希人『レゾンデートル 存在理由』実業之日本社文庫
『死』とは何なのだろう?数ヶ月避け続けてきた問いを正面から見据える。
人はいつか死ぬ。雄貴は研修医時代に会った先輩医師を思い出していた。五十代前半のそのその医師は、膵臓癌を患っていた。化学治療を受けていたが、余命はわずかだと自覚していた。その医師が入院したとき、雄貴は研修医として指導医とともに担当になった。
ある日、その医師は雄貴に言った。「なあ、人生の意味ってなんだと思う?」と。雄貴は言葉に詰まった。末期癌患者に人生観を語れるほど、まだ医師としての経験を積んでいなかった。強張った顔を見せる雄貴に、その医師は笑いかけ「そんな深刻な顔すんなよ」と背中をたたきながら言った。
「俺はな、人生の意味はあの世に行く瞬間に決まると思うんだよ」
雄貴は言っている意味がわからず首をひねった。
「死ぬとき人間はな、いろんな顔をするんだよ。滅茶苦茶に苦しそうな顔をするやつもいれば、泣いたような顔になるやつもいる、あと驚いたような顔もな。けどな、時々、笑顔で逝くやつがいるんだ。死ぬ瞬間で意識も失って、体は悲鳴あげているのにだぜ。そういうやつらはな、みんながみんな、人生に満足してるんだよ。やるべきことはやった。思い残すことはないってな。そうやって周りの人に看取られていくんだ」
雄貴はその言葉をにわかには信じることができなかった。医学という『死』を避けるための学問を学んできた雄貴にとっては、『死』は敗北であり、それを笑顔で受け入れる者がいるとはとうてい思えなかった。
「なんだよ、その疑わしげな目は」
医師はかさついた唇を尖らせると、すぐに笑顔になって雄貴の顔を覗きこんだ。
「よし、俺の死亡宣告はおまえがやれ。見てろ。俺は笑いながら死んでやるから」
その数週間後、その医師は痛み止めの麻薬の副作用と全身状態の悪化で意識を失いつつも、微笑んだような表情のまま心停止し、雄貴の死亡宣告を受けた。
雄貴はその体験をとおして教わった。『死』は敗北などではないと。そしてもっとも重要なことは『死』から逃れることではなく、『死』を受け入れるまでに、いかに意味のある『生』を送れたかなのだと。