誕生日は命の奇跡を祝う日〜『誕生日』東井義雄

誕生日を「おめでとう」と祝うとき、私たちは何を祝っているのでしょうか?

今回は、東井義雄という一人の小学校教師が遺した詩『誕生日』を通じて、命の奇跡、とりわけ、命を紡ぐことの尊さと、そこに内在する「死」の意味を考えてみたいと思います。


東井義雄とはどんな人物か

東井義雄(1912-1991)は、兵庫県の小学校教師として生涯を送りながら、子どもたちと真摯に向き合い続けた教育者です。

『教育とは子どもを愛すること』という信念のもと、数々の珠玉の言葉を遺しました。彼の詩や言葉は、いまもなお多くの教師や親たちに読み継がれています。


『誕生日』東井義雄

誕生日おめでとう お父さんお母さんから いのちをひきついで おじいさんおばあさんから いのちをひきついで その前のおじいさんおばあさんから その前のその前のご先祖から いのちをひきついで 何億年も昔からの いのちをひきついで あたらしいいのちの この世への誕生 おめでとう おめでとう


命の連続と、死のポジティブな意味

「いのちをひきついで」という繰り返しが印象的なこの詩は、命の尊さを語っています。私たちが生きているということは、無数の「いのち」のバトンリレーの上に成り立っている。言い換えれば、「前の命が終わるからこそ、新しい命が生まれる」のであり、死は決して否定すべきものではなく、次の世代を生かすためにあることを教えてくれます。 東井さんは「死」という言葉をあえて使わないことで、命のリレーの背景にある「死」の意味を静かに語っています。


医療の現場では、誕生と死が隣り合わせにあります。

誕生に携わるのが産婦人科であるならば、死と向き合うのが在宅医療と言えるでしょう。

誰かの死は、確かに悲しいものです。それは否定しようのない事実です。

しかし、だからこそ私たちは「死」に意味を見出さなければなりません。

死とは、その人の「生」が全うされた証であり、同時に次の世代の始まりでもある。

そう捉えることは、私たちが死を受け入れ、乗り越えていくための一つの解決策となるはずです。

命を紡ぐことは、あまりにも尊い行為です。であれば、「死」も決して単にネガティブなものとして捉えるべきではない。東井義雄の『誕生日』という詩は、そのことを確かに教えてくれています。

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